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最近よく考えることについてのメモ書き

  27, 2017 17:58
 忘備録みたいなもの。この二、三ヶ月考えてたなあってことの走り書き。どれも答えはでていないし、出すものでもないかなあという感じもする。
・創作作品上の人の死について
 不条理な世界、ある意味「現実的」な世界を描くことにこそ意味と魅力がある作品はたくさんあると思うのだけれど(有名どころだと「進撃の巨人」とか)、どうしても(これは個人的な趣向で)読み手としては、物語の筋にとっての必要性や十分な意味を見出せない(←これも個人の感覚なのでなにか明確な基準があるわけではないのですが)「死」というものに抵抗があります。というよりも、ずっと死の意味について考えてしまって、思考が立ち止まったまま作品を楽しめる状態に戻るまで時間がかかります。「進撃の巨人」は途中で辛くなって読むのをやめてしまったのですが、大きな理由はハンネスさんの死でした。因縁ある巨人に一矢報いることもなくあそこで死んでしまった(結果的にエレンの覚醒のきっかけにはなったのですが…)気のいいおじさんの死について、私はずいぶん立ち止まって考えていました(「進撃の巨人」の魅力の一部分がそういった理不尽さや容赦のなさにあることは理解しているので、作品を批判したいわけではないです)。
 当然書き手としても、自分が描く「死」については時折考える(といっても私の場合描く予定そのものが基本的になきに等しいのですが)けれども、難しいなあっていう。

・何かに対する「好き」と「嫌い」、あるいは「肯定」と「否定」、「一面」と「全体」への感情について。
 創作作品の話にばかり偏ってしまうのあまりよくないなあと思うんですけど。実際、創作だけじゃなくて、人とのお付き合いもそうで(これは特に、村に行った後よく考える)、100%諸手を挙げて好き(肯定)っていうのはそうそうないというか、基本的にありえないと思うのですよね。どこかで引っかかりがあったり、嫌だなあと思う部分があったり。でもそれが「嫌い(否定)」に直結するかというとそうではなくて。「嫌いな部分を含めて好き」に近いけどちょっと違う。嫌いな部分は嫌いだけれども(ここで「嫌い」という言葉を使うのはなんか違う気がするんだけど妥当な単語が思い浮かばない)、でもそれは一面でしかなくて。自分はそれを「赦す」「諦める」みたいな…うまくいえないな。これ、字面からすると自分が相手に抱く感情としてはすごく上から目線ぽいなって思うんですけど、でも、自分はそうして、他人に「赦され」「諦められて」、最終的に全体をひとまず「受け入れられている(関係が継続していく)」のだと思う…というお話…。
 そして「嫌い(これほんと他に適切な言葉ないかなあ)」なものは「嫌い」でいいのだと、思う。嫌いだけど赦す、嫌いだけど諦める。そのうえでの「好き(肯定)」で良いのだと思う。好きなものに嫌いな部分があってはいけないなんてそんなことは、ない。
 「好き」と公言している人や作品に対して、「嫌い」な部分をあげつらうことはそうそうないわけなんだけど。でも「嫌い」な部分はあっていい。それは自分に許可していいのだと、思う。うまく言えないけれど。
 創作作品の話にちょっと話をすげかえると(すげかえていいのだろうか。まあ、よしとしよう。独り言だから)、例えば、上で語った創作キャラクターの死について、私はよく考えて立ち止まる。時には作品自体を読むのをやめてしまうときもある。それでも最後まで読み進める時もある。読み終えて見えるものもあれば、読み終えても見えないものもある。かかえたもやもやを吐き出すのが、罪深いことのように思える。でも吐き出したい時がある。
 もうすこし、吐き出せるようになれたら楽かなって思うし。最後にはまっすぐに「この作品が好きです」って伝えられる。それを信じてもらえる、自分の言葉の説得力を持ちたいたと思う。信頼してもらえる言葉を吐き出せる自分になりたい。

 そんなことを、この数ヶ月ずっとぐるぐると考えています。
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