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晩秋の走り書き

  22, 2018 19:24
 秋が長い。11月末になっても、北アルプスの頂が白く染まらない。昨年の記録を見返すと、ちょうど今時分に平地でも初雪が降ったようだ。すっかり短くなった(早くなった?)日脚とのギャップに戸惑いつつも、日暮れに北アルプスを眺め、太陽の沈む位置が大きく変わっていることに気付く。常念岳から蝶ケ岳の方へ、北アルプスから中央アルプスの方角へ、いつしか大きく南に。星や世界の営みをダイナミックに目の当たりにしている。不思議な感覚だ。
 Twitterにも写真をたくさん載せたのだけれども、今年は例年以上に色づいた葉にレンズを向けた気がする。私はたぶん、秋にあまり思い入れがない。夏と冬のつなぎ、いつしか終わっている駆け足の季節。紅葉をきれいだなと感じる一方で、水気を失ってひび割れた色に変じていく葉を見ていると少しぎすぎすとした気持ちになる。晩秋の景色は私に、年を取ることを悲観する艶麗な女の口紅だとか、乾いた喉の奥から漏れる声なき声を連想させる。命が失われ、損なわれると感じるのは、冬より秋だなと思う。そういえば、これは私の大好きな中西進先生のこれまた大好きな著書「日本語で読めばわかる日本語」の引用になるのだけれど(これももうたぶんTwitterで10回は引用してる。適当に笑い流して欲しい)、日本語において人間と植物は対応していて、例えば「芽」は「目」であるし、「花」は「鼻」である。「実」は「身」だ。そして「萎ぶ」は「死ぬ」と、「枯れる」は「(魂)離る」と対応しているそうだ。私はこの説には感覚的にとても深く納得するものがあって、好きだ。そして秋が来る度に、萎び、枯れていくものを思う。この地上から離れて消えていく何かを、感じる。
 ただブログに何か書こうと思って(広告でちゃったからね)書き始めたものだから、何が書きたいわけでもないのだけれど。今年は本当に秋が長い。越冬のために飛来した白鳥も少ない。朝もまだ起きられる。手前の山々に霜が降りて真っ白に染まる様を今年こそは撮りたいな、と思っているのだけれども。いつかな。
 長い秋の中で、いつもより少し多く色づく葉っぱたちをよく見た。よく目に留まった。今年の秋はなんだか穏やかだったなあ。なんでだろう、と益体もなく考えている。
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