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いまのわたしについてのとりとめないかきとめ

  30, 2018 11:45
 今の私のことを書き留めておこうと思う。明日の私は今の私と180度違った人間になっているかも知れないから。
 最近、Twitterで自分の「モノ」の集め方のことをちらりとつぶやいた。私はどうやらモノを「欲しいからor好きだから」、買ったり集めたりするのとは少し違うっぽいということに気がついた(うすうす自覚していたけれど)。もちろん「好き」は大前提(好きじゃないものを買ったり集めたりしても流石に意味がないだろうと思う。お金の無駄だ)なのだけれど、私は常に、その「好きなモノ」を前にした時、迎え入れる場所や空間、あるいは自分自身の内側や外側を想定している。どんなに好きで、惚れ込んだものでも、そのモノが(主には視覚的な)調和を乱すモノのであるなら、招けない、迎え入れられない。特に自室には。
 私は人混みが嫌いだ。人の多い場所には長くいられない。人と話すのは好きだけれど、別れたときに尋常じゃない疲労感に襲われる。親しい、慕わしい相手ほどそうだ(その点、人と話す仕事に就きつつも、基本的に相手とはその場限りの付き合いなのでそうでもない)。だから私は、休日は本当に限りなく外に出ない。ひたすら、自分が招くことを許したモノだけを置いた自宅にこもって、誰とも目を合わさず、言葉を交わさずに過ごす。その時間が絶対に必要だ。その時間と空間があって、私はどうにか私の存在を確かめている。私は私として、1つの存在として世界にいるのだと。世界に溶けて霧散して消えてしまいそうな自分をかき集めている。
 たぶん「私」は、この肉体に収まっていないのだと思う。共感性が高いと言えば聞こえはいいけれど、何でもかんでも「私」に変換しようとする乱暴さと傲慢さがある。テレビニュースに写る犯罪者を「ifの私だ」と思うことを辞められない。仕事先で出会った相手に嫌悪感を抱いたときは、自分もきっとこうなのだと勝手に妄想に駆られる。客観的に自分を見られない、だって他人は全員私だ。
 最初のモノの話に立ち戻ろうと思う。私は「好き」と思うものに出会ったとき、触れたとき、「好き」に加えて、たぶん「私だ」と感じたものを迎え入れている。私の一部、当たり前のように私に寄り添うモノ、私の自室の「本来そのモノがあるべき場所だった(かに感じる)のスペース」に収まる、はまる、しっくりくるモノを、求めている。自室はたぶん、私の体以上に私なのだと思う。私になじむモノ、心地良いモノ、さも探していた私の一部分かのように錯覚するモノを、探している。
 一方で私は、勝手に拡張して肥大していく自分を恐れている。他人の感性を、感情を、知識を、経験を、それらを表した言葉を「私だ」と断じて、取り込んで、自分のモノにしてしまうことを恐れている。Twitterで「ことばは確かに共有されるが、ことばとなるまでの体験は決して共有されない。だからことばの共有が本当にお互いを理解していることになるのか反省する必要があり、それ以上に他者のことばを勝手に掠め取っているのではないかと自問する必要がある。その反省を経て、ようやくことばは表現と呼ばれ始める(引用源)」というツイートを見た。「ほんとそれ」と自分が自分に言った。どれだけ私という存在が希薄で、気体のようで液体のようで勝手に世界に溶け出て他人も自分にしようとしても、やっぱり「私は私」で「他人は他人」なのだ。違うにんげんなのだ。本当の意味で共感はできないし、した気になってはいけないのだ。気を付けて、生きて行かなければ。
 Twitterの話ばかりで恐縮なのだけれど、創作アカウントでこの前「申し訳ないけど、「発想かぶり」をパク扱いされたら創作なんてなんも出来んですし、先に同じ発想の人が居たんですね! としかお返しできない。悪意前提で話されましてもなぁと。茶化し抜きでネタ被りNGにされたら、手塚治虫先生でほとんど詰んでしまうよ…(引用源)」というRTがよく回ってきた。たぶん「賛同」の意味でいろんな人がRTしたんだと思う。そしてツイート主はたぶん、独り言としてつぶやいたのだと思うので、私は別にツイ主に対してどうこう言いたいわけではないし、RTした人たちを批判したいわけでもない。ただ私は、何でも「私」にしてしまおうとする乱暴で傲慢な私は。その「発想」がどこから来たのか、自分の経験なのか本やネットで得た知識なのか学術書なのか論文なのかあるいは誰かの言葉なのか、をなるべく自覚(しようと努力)しなければ、と思う。言い聞かせる。私は私が思っているよりもずっと、たくさんのモノに影響を受けているんだと、自覚しなければ、と。私は私がほんとうに恐ろしい。
 私は0から1を生み出せる人間ではない。物語たちが、キャラクター達が、私が出会ったどの点からやってきたのか、あるいは点と点がつながって線になって、かたちづくられてきたのか。足を止めて時々考えなければいけない。私は。
 その上で、私の中にある点たちを、愛して、尊敬して、感謝して、謙虚に(これがほんとうに難しい)存在しなければ。
 暗い話をしたいわけではなかったのだけれども、暗いな!笑 
 でもたまにはこういう書留もいいかなって。ブログってそういうモノだよね。
 自他の境界線の薄さとか、自室という名の甲羅の中を整えるところとか、めちゃくちゃ蟹座っぽいなーって思うんですけど、私なんかが蟹座代表かのごとく語ると他の素敵な蟹座さん達に申し訳ないから、「蟹座っぽい」くらいにとどめておきますが。というか蟹座のせいにするなと怒られそう。蟹に。
 早朝の仕事を終えて次の仕事に取りかかる前の、雑な書き留めなのでした。いつか読み返して恥ずかしい気持ちなっても頭を抱えてもそれはそれで面白い。
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