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視覚化されない消費

  29, 2017 17:59
 仕事の中心に写真を撮ることがあるせいか、ブログの記事が八割写真関連のことになりつつあるのだけれども今回もやはり写真の話。
 日曜日にお休みをいただけたので「クラフトフェアまつもと」に行ってきました。素敵な作品がたくさんだったー!私に財力さえあれば…と思いながら会場4周くらいしました。その他にも町中のそこかしこで手作り市や作品の展示がやっていて。さすが「工芸の五月」の締めくくりである大イベント日って感じでした。
 そこでなんで写真の話、って話なんですけども。
 私もカメラ提げて会場に向かったわけですが、ひとつひとつの作品を拝見して、手に取って、ちらっとお値段を見て「手が出せない…」と嘆息しつつも、やはりどの作品にも値段相応というかむしろ値段以上の価値があるなあと感じました。
 作家さんが作品制作に費やした時間、気力、体力。今の作品に至るまでの努力や勉強、修練。その結晶がひとつひとつの作品で、なんというか、ひとりひとりの「祈りのかたち」というか、信仰の結実のようなものを見ている心地になりました。誰しも、ものをつくるひとってそのひとのなかに「かみさま」みたいなものがいるのだと思うんですよね。だから作品は、わたしには祈りのかたちのように見える。
 目に見える物質としての「作品」としてそこに存在しているわけではなくて、見えないものを撚り合せたものがここにあるんだなあ…と感じたというか。うまく言えないですけど、きっと創作にしている人には伝わるはずだ(伝われ)。

 そんな作品をこう、スマホや一眼でぱしゃぱしゃとる。ぱしゃぱしゃと。
 作家さんに声をかけるわけでもなく、許可を得るわけでもなく、ただただぱしゃぱしゃ撮っていくっていう。
 何気ない行為で、どこでも見る行為で、作家さんが止めないのなら私がどうこう言う権利はないんですけど、ぞっとしてしまった。そっと持ってきた一眼をバッグにしまってしまいました。結局、作家さんとお話できた一件だけ、綺麗なガラスのグラスを撮らせていただいただけ。でもそれでよかったなって気持ちでいたりします。
 
 写真を撮られることで作品そのものが物理的に損なわれるわけではないのですけれども、写真を撮るってすごく乱暴な行為だなと個人的に感じました。作家さんがあらゆるものを費やして制作した作品を、一瞬で自分のものにしてしまう。一瞬で消費してしまう。
 ほとんどの人が(そして私自身も)悪気なんてなくて「素敵な作品があったから写真を撮った」っていうそれだけのことなんでしょうけれど、悪意がないからこそ恐ろしいと思う。SNSとかにアップした写真がめぐりめぐって作家さんの知名度をあげるのに貢献して、作家さんの活動に好影響を与える場合も少なからずあると思うんですけど。
 それでもこう…根本的な気持ちに「こんな素敵な作品の写真を撮る(アップする)私が素敵」な気持ちがないかって言い切れるかというか…私は自信がない…。綺麗なもの、素敵なもの、誰かとわかちあいたい。でももっと私欲にまみれた無自覚な気持ちが自分のもあるってことを自覚する必要があるなと思ったというか。
 うまく言えないけれども…誠実な写真を撮りたいなと思いました。作品のための写真、読者のための写真、何かの目的のための写真、誠実で、真摯で、消費的でない写真を撮りたい。
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